第4回

「風」と共に暮らす

沖縄の風土に適した住宅はどういうものでしょうか。
未来の沖縄はこれからどう変わっていくのでしょうか。
沖縄の建築はこのたった100年ちょっとで劇的に変化しました。

琉球王国であったころは、身分によって屋根を瓦葺にすることを制限されていました。
1872年、琉球王国は明治政府により琉球藩となり、1879年に沖縄県となりました。
1889年に琉球王府時代に制定された民家の瓦葺制度が解除され、身分に関係なく瓦葺が可能となりました。
そこで首里と那覇に制限されていた瓦葺屋根が地方に普及し始めて、現在の沖縄の原風景となる福木の屋敷林と赤瓦の景観が創出されました。

しかし1944年に空爆、1945年に米軍本島上陸により全県焦土となり首里・那覇を中心とする多くの建物が焼失しました。
戦後、焼け野原になった沖縄に3年間で7万3500戸の応急規格住宅が建設されました。この規格住宅は一般にツーバーフォーと呼ばれるもので、2インチ×4インチの米国産の松材(ダグラスファー)を使用しました。
面積は約6坪で台風には耐えられない構造ではありましたが雨露をしのぎ戦後の物資のない時代に家族の団欒を支えるものでした。

1950年に日本本土で施行された建築基準法は、1952年になって沖縄群島建築基準条令を建築基準法(立法第65号)として公布されました。
そして1952年、本土からの木材の輸入が認められ、杉材の木造軸組み構造に、赤瓦葺きやセメント瓦葺きの住宅が普及していきました。
ところが、木造軸組構法は本土の工法に習ってコンクリートの基礎を建物周囲に巡らし、その上に杉材の土台を乗せた工法に変わり、床下換気は換気孔を設けてあるとはいうものの、十分に通気がなされていないものでありました。
しかも、戦後沖縄の木造住宅の土台は床下換気や土台の腐朽に対して、明確な基準がなかった上、当時使用した杉材は、未乾燥の含水率の高い材で、間伐材であったと考えられるものが多かったため、腐朽が早く、またシロアリやその他の虫害による甚大な被害が発生しました。

また、当時度々襲来した大型台風によって、木造住宅は土台の破壊による大きな損傷を受け、一般の木造住宅に対する不信は増大していきました。
ついに木造住宅の着工件数は、1961年(昭和36)を境にして、鉄筋コンクリートや補強コンクリートブロック構造など木造以外の構造に変わっていきました。
米軍基地建設に従事した技術者が、米国仕様の鉄筋コンクリート基準を学び、その技術を民間に応用しました。住宅建設は、当初は、補強コンクリートブロック造でしたが、壁量の制限などによる間取りの不自由さのため敬遠され、鉄筋コンクリート・ラーメン構造へと移行していきました。その理由として、柱のスパンを広くとることにより、伝統的な暮らし方に相応しい開放的な空間が可能となったためです。
その後、空調機の普及に伴って、自由な間取り、多様な構造手法が生まれましたが、木造建築の占める割合は、未だに全着工数の10%にも達していないという沖縄独特な状況にあります。

原風景のまま、木造の家に住むというのは理想かもしれませんが、私たちは歴史を背負い受け止め、現在の沖縄を築きました。
木造だから快適な生活になるのではなく、鉄筋コンクリート造だから安心しきっていいというわけではありません。

どの家にも共通する沖縄の気候風土に沿った暮らし方とは、一体何でしょうか。
答えは、「風」にきいてください。
風は歴史が変わってもこれからもずっと吹き続けるものだと思います。

風といえば、皆さんは自分の家の窓、どこを開ければ風が通り抜けるかとか、どの時間帯にどんな風が吹くのか把握していますか?
一般的に那覇市は昼夜を問わず、東から南に面した窓が風上側になる頻度が高いようです。ただし、敷地周辺の立地条件により変わってくるので、住んでいる家の特徴はその家にいないとわかりません。窓も風上側の窓だけでなく、風下側の窓を開けることがより効率よく風を通り抜けさせるポイントです。入り口だけでなく出口を開けてあげることで気持ち良く風が抜けていくのがわかると思います。
快適な暮らしをするためには、平均風速が約5m/秒という特徴を利用して「風を知ること」が一番の近道かもしれません。

未来の沖縄もまた、きっと心地よい風が吹いてそれを愉しむ家がある、そんな風景が広がっていると思います。

(2013年8月21日掲載)